第1章 非常時こそ問われるトップの真価 ~台風15号対応④~

 台風15号は千葉市も大変でしたが、千葉県北西部を除く千葉県全域で甚大な被害が出ていました。千葉県全体で人的被害は重傷6人、軽傷74人。住宅被害は全壊75棟、半壊997棟、一部損壊1万587棟、床上浸水47棟、床下浸水67棟。崖崩れ3カ所、地滑り1カ所(2019年9月22日、千葉県災害対策本部会議資料より)に及びました。
 千葉市は政令市で職員の数も多いため、自力で災害対応がある程度できましたが、県南の市町村は職員数も多くなく、大変厳しい状況にあることが想像されました。
 台風が直撃して3日が経過した 11日頃から、副市長に「他市の副市長あたりに連絡を取って、困っている市があれば支援しよう」と指示しました。県の対応の遅れも伝わってきていましたし、政令市である私たち千葉市が大変なら他の市はもっと大変だと思ったのです。死者が出てしまうかもしれません。そこで県庁所在地の政令市の責任として、できる支援をしようと思いました。私たちは政令市同士のつながりで、他の政令市にお願いすれば、より多くの物資を集めることもできます。
 そこで、君津市が大変そうだったので、「大変ですね。何かできますか?」と君津市の石井宏子市長に電話すると、保健師を派遣してほしいということで派遣しました。また、千葉市を興した千葉氏ゆかりの関係市町に連絡すると、多古町や成田市が困っていると聞いたので、物資を送りました。多古町については庁舎も含めて町全域で電話が通じなかったため、市職員が多古町まで行き、直接要望を聞き取った後に携帯が通じる地域まで戻って必要物資を本庁に伝達、本庁から支援物資を準備・輸送しています。ほかにも南房総市にも職員を派遣しました。
 初動段階では県はあてにできません。これは県を批判しているのではなく、市町村を取りまとめて動く広域自治体である県は大災害時はどうしてもすぐには機能しないのです。確かに千葉県の初動対応はまずかった点が多々あるのは確かだと思いますが、誰が知事でも、どの県でも、初動段階には十分に機能しない面があることは飲み込んでおかなければいけません。
 例えば、支援が必要な市町村を県が取りまとめるのに1~2日、そこから他の県に支援を求めて、その県が県下の市町村に支援できるか確認するまでに1~2日、市町村が返事をして取りまとめるのにまた1~2日と、普通に1週間経ってしまいます。初動段階における市町村の支援は市町村同士で行うことが有効で、だからこそ東日本大震災以降、遠方の市町村同士で災害時に相互に支援する協定の締結などが広がっていきました。
 市長同士か副市長同士で連絡を取り合って、支援策を決め、その後、県に「このような支援をしたので、県の取りまとめに入れといて」と報告する方が良いのです。中には県から「そんな支援が必要だとは聞いていない」と言われることがありますが、あらためて当該自治体に確認すると、「やっぱり必要」と言われたりしました。
 県の情報は取りまとめをしている間に古くなってしまったり、報告が止まっていたりします。特に災害から数日間はそういうことはあり得るので、市町村同士が直に助け合う方がよいと思います。もちろん、大きな災害は長期戦ですから、ある程度の時期が過ぎればやはり県を中心に取りまとめ、対応していくことが望ましいと考えます。

 このように、県内各自治体が災害対応に奮闘する中、私は次のことを考え始めていました。台風直撃後しばらくは千葉県が大変な状況であることが報道されませんでしたが、1週間ほどすると各テレビも連日時間を割いて千葉県の災害を報道してくれていました。
 一方で、作業員の皆さんの奮闘もあり、停電地域の復旧が徐々に進み始めていました。広範囲の停電が収まれば、今後テレビ等での扱いは少しずつ縮小していくことが予想されます。この災害では多くの家屋が被害に遭い、長い復旧復興となるので、できる限り国からの手厚い支援を受けることが望ましいことを考えると、全国的に注目を集めているタイミングを逃さずに国に要望に行き、支援を引き出したいと思いました。
 千葉で災害が起きる中で組閣して、災害対応が遅れたのではないかという野党やマスコミからの批判を打ち消すためにも、国から大規模な支援を引き出せる可能性も感じていました。
 そこで、週末の 14、 15日あたりには「激甚指定や更なる国の支援など、被災自治体として要望することを考えておいてほしい」と指示しました。激甚災害指定を受けると復旧事業に対する国の財政措置が手厚くなり、市町村負担が大幅に軽減されます。中小企業の金融支援や農家などへの各種支援制度の発動要件も激甚災害に指定された地域かどうかが大きいのです。
 また、台風 15号は猛烈な風により、千葉市を始め県内各地で家屋の屋根が吹き飛ぶ被害が出ていましたが、国の基準に基づく被害認定では多くの家屋が半壊にもならず、一部損壊になってしまう懸念がありました。
 被害認定では屋根、外壁、柱、基礎など様々な構成要素の被害の割合を合算して判定するため、屋根が著しく損傷していても他の要素に被害が無ければ一部損壊になる可能性もあるのです。しかし、実態として、屋根が吹き飛ばされ、週末に降った雨が家屋に浸透してカビだらけになり、住めない状況が発生していました。被害の実態にあった被害認定と支援が受けられるよう、被災自治体の長として国に訴える責務があると考えたのです。
 しかし、当初、担当部署は「激甚災害指定は基準が定められており、基準を満たせば国が指定するし、満たしていなければ指定されないので、私たちが要望しても」、「判定基準は国が定めて明示されているので、それに従うしかない」といった反応でした。
 「違うだろう。私たちは被災地の自治体だ。私たちが被災者に寄り添って、実態にあった支援を求めなくてどうするんだ。確かに最後は国の判断だが、少なくとも私たちは被災者目線で要望をする責任がある」と伝え、国への要望内容について検討することにしました。

 そこで、千葉県市長会の清水聖士会長(鎌ケ谷市長)に連絡すると「その通りだ。すぐに行こう」と、即断してくれました。県町村会にも声をかけようということになり、岩田利雄町村会長(東庄町長)にも話をすると、「町村会もぜひその話に乗らせてほしい」ということになりました。
 要望にあたっては地元の与党国会議員と連携することが望ましいので、何かと千葉市のことを気にかけてくれていた自民党の小林鷹之衆議院議員に相談すると、「ちょうど自民党千葉県連で要望に行く話が出ているので行きましょう」となり、武田良太防災担当大臣、二階俊博幹事長の日程をいただけることになりました。
 一方で、赤羽国土交通大臣が千葉市を訪問してくれた関係で、大臣と同じ公明党の富田茂之衆院議員にお礼の電話をした際に「被害認定の件で国に要望が必要と考えているのですが…」と切り出しました。すると「その点は認識している。屋根が吹き飛んでいるのに一部損壊はおかしいよね」と、富田議員も気にしていました。そこで、自民党と国へ要望活動をしようとしていることを話すと「こちらでも調整して菅さんにも要望に行けるようにしよう」と、菅義偉官房長官にも面会できるよう手配りしてくれたのです。
 こうした方々のおかげで 19日に被災した 11市町の市長・町長が集まって合同で要望活動を行うことができました。
 被害の大きかった県南の自治体である南房総市の石井裕市長、館山市の金丸謙一市長、鋸南町の白石治和町長なども同席し、石井市長から理路整然と家屋の被害認定の件について訴えていただくなど、それぞれの首長から被災地の生々しい状況を直接伝えることができ、それを多くのメディアに報道してもらえたことは大きかったと思います。
 私たちの要望だけでなく、多くの方々の働きかけなどもあり、激甚災害指定を含め、国から様々な支援メニューが組まれました。被害認定については私たちが要望した通り、屋根が大規模に損壊し、その後の雨水の浸透によって家屋が著しい被害を受けた場合等を想定した弾力的な運用が示され、今まで国の支援がなかった一部損壊に対する支援制度なども設けられました。被災者の皆さんにとって十分ではないかもしれませんが、被災地の実情を中央に伝え、一歩踏み込んだ支援を受けることができたことに感謝したいと思います。
 被災自治体として大事なことは、一日も早い復旧復興と被災者の生活再建ですが、それと同じくらい重要なことは「同種の災害が来ても被害を最小化する、踏み込んだ防災対策を打つ」ことです。多くの課題が突き付けられた自治体として、市民に元気と誇りを持ってもらうためにも、他市のモデルになるくらいの気構えが必要です。
 そこで、9月の台風 15号の対応が少し落ち着いてきた頃から、「今回の災害を教訓に、電力や通信の強靭化など、思い切った防災対策を実施しよう。各所管で検討し、防災ビジョンとして全庁的に取りまとめ、年度内には市民に示そう」と指示し、各所管で鋭意検討してもらいました。

菅官房長官(当時)と面会し要望を届けた

二階幹事長とも面会

武田防災担当大臣に現地の現状を説明

 台風 15号への対応を行っている最中、台風 19号、さらには 10月 25日の集中豪雨と三度、千葉は大きな災害に見舞われました。特に 10月の豪雨では、千葉市で1カ月に降る雨がわずか3時間で降るという、観測史上でも例の無い集中豪雨によって市内各所で道路冠水や内水氾濫、土砂崩れが発生しました。千葉市では市民への警戒情報の発信や帰宅困難者対策など、市職員が全庁を挙げて災害対応にあたってくれましたが、土砂崩れによって3名の尊い命が失われました。亡くなられた方々に心から哀悼の意を表するとともに、命を救うことのできなかった悔しさを今でも感じます。
 千葉県は土砂災害警戒区域の指定率が全国で最も低い県であり、千葉市も県に対して早期指定と対策を求めてきました。政令市といえど防災、特に土砂災害に関しては権限の多くが県にあります。県もこの事態を受けて、早期指定に向けて特別態勢を敷き、スピード感を持って土砂災害警戒区域の指定など各種対策を展開してくれています。国、県と連携しながら、被災地の復旧復興を今後も進めていきます。
 そうした中で私が職員に呼び掛けたことは、「未曽有の災害に打ちのめされるのではなく、ただ単に復旧復興に取り組むだけではなく、これら災害に最も強い都市を作り上げ、全国の防災モデル都市となるのだ」ということです。
 私の住んでいた神戸市は阪神淡路大震災で凄まじい被害を受けました。神戸市はそれ以来、防災先進都市として様々な防災対策に取り組み、そして災害が起こった都市をいち早く支援しています。
 被災者は支援も求めていますが、一番求めていることは「自分たちのつらい経験が誰かのために役に立つ」ということです。千葉市のみならず千葉県は、一連の被災とその対応によって「災害に弱い県」というイメージがつき、県民の中にも忸怩たる思いを持っている方も少なくありません。
 私は市民に誇りを失ってほしくありません。逆境を新たな道を切り開く契機に変えていく、被災経験を意味のある経験に変える、そのために行政がリーダーシップを発揮し、先駆的な防災対策に取り組むことが必要です。
 そのビジョンの下で、千葉市は2月には「災害に強いまちづくり政策パッケージ」を発表、

  1、電力の強靭化
  2、通信の強靭化
  3、土砂災害・冠水等対策の強化
  4、災害時の安全・安心の確保
  5、民間企業等との連携拡大

の5つの分野において踏み込んだ一連の施策を打ち出しました。
 例えば電力の強靭化では、避難所となる公民館・学校約200カ所に太陽光発電設備と蓄電池を整備し、長期停電となってもそれぞれの地域に電力の途切れない拠点を作ります。
 この施策の特徴は「行政の負担なく」という点です。税金を使って整備するのはどの自治体でもできます。千葉市は民間との連携によって市の負担ゼロで、しかも2022年度までにスピード感を持って整備するところに千葉市としての創意工夫があります。
 千葉市は一連の災害の前に北海道の停電災害を受けて企業との連携を進めていたことを紹介しましたが、その一環としてTNクロス社(東京電力・NTT出資会社)とも協定を締結しています。その協定のモデル事業として、市内中学校において環境省の補助事業を活用して企業負担で太陽光発電と蓄電池を整備し、平時は学校が電気をTNクロス社から購入し、災害時には地域の電力として活用する取り組みを行っており、事業として成り立つという結論を得ていました。
 一連の災害後に速やかに民間主体による太陽光発電・蓄電池整備を打ち出せたのは、こうした災害前のモデル事業のノウハウがあったからです。この取り組みを着実に進めていくことで電力の強靭化を実現し、全国のモデルとなることができます。
 民間企業等との連携という点では千葉市は2つ全国のモデルとなる連携を実現しています。1つは東京電力との協定、もう1つは不動産業界との協定です。
 1つ目の東京電力との協定は、台風 15号の際に倒木処理を加速化するため、電線に関わる倒木を電力事業者と市側で連携して処理することができるようにした取り組みを協定という形で整理したほか、災害時に東京電力からリエゾン職員(現地情報連絡員)を派遣してもらい、復旧情報を迅速に共有すること、市側の優先順位に基づいて電源車を派遣してもらうことなどが盛り込まれており、こうした協定を市が締結するのは全国初となります。
 不動産業界とは、市のハザードマップを活用して、物件売買時にその物件の災害リスクを事前に市民に説明していただく協定を締結しました。
 重要事項説明において土砂災害については説明が義務化されていますが、それ以外の災害リスクについては不動産事業者に委ねられています。市民が自らの災害リスクを十分に理解していなければ、いざという時の避難行動にもつなげることはできません。
 不動産事業者が売る際にマイナスになる情報を伝えることを驚かれる方もいるかもしれませんが、私が全国宅地建物取引業協会(宅建協会)千葉支部の役員に相談したところ、「千葉市の防災の取り組みに協力できることは大変光栄。我々宅建事業者には、不動産取引を行う人に対し、知り得た事実についてきちんと伝える義務がある」と快諾いただき、首都圏でも初の協定締結となりました。今後は全日本不動産協会の方とも協定を締結する予定です。
 この2つの協定はいずれ千葉県、さらには首都圏全体のモデルとなるでしょう。千葉市の被災経験、そしてそこから生み出された政策が他の自治体に役立てられる、それは既に始まっています。

○スピード感を持った指揮
 2019年秋の大規模災害時、勤務時間外の市長との連絡は主にLINEで行っていました。停電状況の情報共有など、やり取りは100回以上に及ぶものでした。緑区の倒木情報の確認や対応の指示や、停電が長期化している地域の対処を指示したりするなど、困っている被災者の声をSNSからも拾い、なるべく多くの市民の声に応えようとしていました。
 市長は、市として必要な対応にいち早く気づき、その全てに指示を出しているかのようでした。その指示は深夜早朝を問わず行われていたため、いつまでもこの様子では「市長の身体が持たないのではないか」と気が気ではありませんでした。しかし、この先手を打つ徹底した市民目線の指示が無かったならば、対応できた案件も対応できなくなる恐れがあったことも、また事実でした。
 もちろん、SNSだけではなく実際に被災現場に行き、そこでの課題についても適切な対応を行っていました。長期停電の被害を受けている酪農家を訪問した際「乳牛は乳房炎を防ぐために、乳を毎日搾らなければならない。そのため大型の発電機を近隣から借り、苦労して乳を搾っても、出荷する先が停電で動かないため、大量の生乳を断腸の思いで廃棄せざるを得ない。しかも、廃棄費用の補助などは一切無い」という酪農家の方からの被害の訴えがありました。
 市長は、その話を聞いて「分かりました。対応します」と答えましたが、酪農家の方は、長引く停電もあって「信じていいのかい?」と少し強めの口調で返してきたのですが、市長は相手の目を見て「もちろんです!」と言い切りました。
 その後、9月 19日付で「乳廃棄に係る補填補助事業の新設」を国へ要望するとともに市単独でも補填するなど、現場で把握した課題・難題にも、しっかりと向き合い、対処する姿勢を一貫して持ち続けていました。
 被災者への対応として一番印象的な事案はバスによる避暑施設の開設でした。停電の復旧見通しが見えない中、市内でも高齢化率が高い地区に、特別支援学校の通学用バスを臨時的な避暑スポットとして転用したのです。市長は利用できるバスの存在を把握しており、暑さに困っている被災市民と結びつけたのです。
 一歩間違えると「災害なので地域の皆さんには我慢してもらうしかない」と考えがちですが、それは行政ができることを全て実行した上での話で、できることをしないで市民に我慢をさせてしまうことは怠慢であることを学びました。

職員の回想 ~危機管理担当職員~

○災害時こそ求められる的確な指示
 熊谷市長就任以降、東日本大震災を始め未曽有の大災害が日本各地で発生し、首都直下地震や南海トラフ地震など将来発生する災害への備えとして、自治体の防災対策の重要性、必要性が高まっています。市では同震災以降、危機管理監・危機管理課を新設し、各種防災対策組織を一気に強化してきました。さらに新規採用職員はもちろん各種階層研修にも防災対策を取り入れ、被災地への応援職員を積極的に派遣するなど、職員全体の災害対応をスキルアップさせています。
 また、地域防災計画を見直し、災害時における業務継続計画や受援計画を策定しました。本市を震源とする直下地震を想定した地震被害想定調査、地震ハザードマップや国土強靭化地域計画の策定についても他市に先駆けて取り組み、市の危機管理・防災対策を継続して強化する一方、災害における自助、共助の強化・促進として、 12年からの避難所運営委員会設立は全避難所の 96%(2020年3月1日現在)となり、同委員会への補助制度も 17年度から全市を対象に拡充しています。
 建設業協会などの災害時の応急復旧対策や、停電時のEV車による電源供給など、市民、地域、団体、民間企業など様々なステークホルダーと協働で対策を行ってきた結果、昨年の台風や大雨による一連の災害対応では一定の成果があったと考えます。しかし、長期間の大規模停電など、新たな課題も明らかになりました。
 そこで、昨年の発災直後から、災害に強いまちづくり政策パッケージの策定を指示。この災害で得た経験や教訓をいち早く生かし、より災害に強い市をつくる明確な方針を示しました。いつ発生する分からない災害に備え、リスクへの迅速、的確な対応以上に、今回の災害では前例やルールにとらわれず、柔軟かつ臨機応変に対応する市長の視野の広さ、トップとしての判断、時期を逸しない的確な指示が何より必要かつ重要だと再認識しました。今回の災害で間違いなくさらなる進歩、強化がなされ、災害に強い市として大きな一歩を踏み出したものと考えます。

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