第1章 非常時こそ問われるトップの真価 ~新型コロナ対応②~

 3月に入り、感染が拡大したヨーロッパからの帰国者を中心に、日本で感染が拡大し始めました。そうした中、3月下旬の3連休あたりに人出が増え、専門家は警鐘を鳴らし始めました。
 私も東京の感染者の増加傾向を懸念していたため、3連休中に「東京の感染リスクが高い。東京への不要不急の外出は控えるように」というメッセージをSNS等で発出しました。
 その後、オリンピックの延期が決まり、小池百合子都知事からロックダウン(都市封鎖)という言葉も飛び出す中で、一気に外出自粛の流れが動き出しました。
 私がこの間、指示していたのは「九都県市首脳会議を活用せよ」です。
 小池都知事を含め各知事がそれぞれの考え方や基準で外出自粛を求め始めたのを見て、「こういう時こそ首都圏全体で共同歩調を取るべきであり、九都県市首脳会議がそれにふさわしい」と考えたのです。
 そこで、小池都知事、この時の事務局市である川崎市の福田市長にも直接携帯電話で連絡を取り、九都県市首脳会議で初のオンライン会議が4月1日に開催されました。今振り返るともっと早く開催するべきだったかもしれません。
 九都県市首脳会議は外出自粛などについて共同でメッセージを発出する等、一定の役割を果たせたのは事実ですが、「東京都が対策を打つ場合、必ず九都県市で共有して共同歩調が取れるようにしてほしい」という目的は十分に達成することができませんでした。
 4月7日、政府より緊急事態宣言が発出され、政府と知事会の事前の調整では「休業要請は当面は行わない」となっていましたが、東京都が政府との調整無く、具体的業種を明示して 11日(土)からの休業要請に踏み切る考えを公表し、ここから緊急での意思決定の連続が始まりました。
 潤沢な財政力を持ち、休業要請の対象となった事業者に支援金を支出できる東京都と異なり、3県は当初は休業要請に否定的でした。しかし、東京都が休業要請を発出し、都内の店舗が休業する中、3県の店舗が営業していた場合、業種によっては東京から人が移動してくる可能性があることから、神奈川県の黒岩祐治知事が 10日(金)になって方針を転換して東京都と同様に 11日から休業要請を行うことを表明しました。その際に報道陣からコメントを求められた森田健作知事が「千葉県は休業要請は行わない」と発言されたところをテレビで見て、「これはまずい」と思いました。政治的な感覚として、このまま千葉県が休業要請せずに耐えられるわけがないと考えたからです。追い込まれたあげくに休業要請を出すくらいなら、タイミングを逃さず呼応すべきでした。
 すぐに副市長を通して副知事に「千葉県も休業要請を出すべきだ」と伝えましたが、県の方針は変わらないとのこと。同 10日夕方になって埼玉県の大野元裕知事も 13日(月)から休業要請を行うことを表明し、流れは決定的となりました。
 2県の方針転換があっても千葉県の方針に変化はなかったため、私はやむを得ず2つの行動を取ることを決断しました。1つは東京都に近い県内市とともに県に休業要請に踏み切ることを求める緊急要望を行うこと、2つは千葉市単独でも何らかの自粛要請を行うこと、です。
 私が信頼する船橋市の松戸徹市長に連絡をしたところ、「千葉市の提案に賛同する。ほかにも森田知事に伝えたいことがある」とのことだったので、千葉市・船橋市とともに保健所を持つ中核市の柏市の秋山浩保市長、東京都と隣接し感染者が多い松戸市の本郷谷健次市長と連絡を取り、 13日に緊急要望を行うこととしました。
 もう一つの千葉市単独の要請ですが、特措法の権限は都道府県にありますから政令市といえど千葉市に休業要請を行う権限はありません。しかしながら、キャバクラ等はこれまでも東京都で取り締まりが厳しくなると千葉市に関係者が移動する等の事例があり、そうした業種に絞ってでも何らかの要請を出すしかないと考え、翌4月 11日に緊急で会議を行い、一部業種に絞って 14日より営業自粛の要請を行うことを決め、午後に記者会見を行うことにしました。
 私たちは逐一千葉県に千葉市の考え方を伝えてきましたが、この辺りで千葉県の方針に変化があり、「休業要請を検討する」に変わり、私の記者会見とほぼ同じ時刻に森田知事から 14日より休業要請を行う旨の発表が行われ、14日の4市合同の緊急要望は知事の判断の歓迎と、休業要請に伴う事業者支援と医療体制に関する要望内容となりました。

 神奈川県:10日に表明、11日から休業要請
 埼 玉 県:10日に表明、13日から休業要請
 千 葉 県:11日に表明、14日から休業要請

 表明の時間的ずれはわずか1日です。しかし、数時間おきに事態が変化していく中、千葉県の逡巡は何度も報道され、このわずか1日の逡巡によって全国の人々が「千葉県は意思決定が遅い」「結局、他県の後追い」という印象を強め、何より県の新型コロナ対策に対する県民の信頼を損ねる結果になったことは本当に残念です。
 行政的には、神奈川県や埼玉県のように東京都の想定外の動きを見て瞬間的に呼応するのは不可能です。休業要請はそれだけ多くの関係者を巻き込み、県民生活に大きな影響を与えます。公務員にそれだけ重い判断を1日どころか数時間で下せというのは無茶です。
 神奈川県・埼玉県はそれぞれの知事が「やむを得ない」と腹をくくり、首長決断として部下に「やるしかない。方針は私が表明するから詳細を急いで詰めろ」と指示した結果です。
 先に述べたように危機時の対応は「信頼」が基本です。信頼を失うとどれほど正しい判断と対策であったとしても人々がついてこず、結果的に目的を達成することが困難となります。信頼を失うことで、「自分に船頭をやらせろ」という人々が増え、船頭が多くなることで余計に危機対応が混乱することにもつながります。
 災害のところでも申し上げましたが、危機対応は数時間が勝負です。数時間の中で最善手を打ち続ける必要がある、そしてその責任はトップが背負うしかありません。
 また、今回の休業要請は県全体が対象となり、感染者がゼロの県南地域なども長期にわたって休業を要請されたほか、そうした地域の児童生徒も学校に通うことができませんでした。東京と密接な関係を持つ首都圏としての顔と、地方の顔の両方を持つ千葉県としては地域別に対応を変えることも今後の検討課題としなければいけません。実際に北海道ではエリア別に対応を分けたケースがありました。
 事業者の多くが十分な補償なく感染拡大に協力してくれたことを当たり前と思わず、事業者への影響を最小化しながら感染拡大を防ぐ方策を常に研究し続けていくことが私たち行政には求められます。

 緊急事態宣言が発出され、休業要請が各都道府県から発出された頃から千葉県では感染のピークが続き、病床は次々に埋まっていきました。特に東葛北部・東葛南部医療圏では病床が不足し、患者が判明したものの入院できない、「入院調整中」の方々が続出しました。
 感染症指定医療機関の千葉大学附属病院・市立青葉病院を中心に多くの病床を確保していた千葉市もギリギリの状況となり、私たちは緊急対策として、市立青葉病院で既入院患者を別の病棟に移動してもらうなどして追加病床を確保したほか、新型コロナウイルス患者の受け入れのために病床を確保した市内医療機関に対して1床あたり1日8万円の支援金を出す制度を創設するなど、病床確保に全力を挙げていました。
 そうした中、「県が幕張メッセに新型コロナウイルス患者専用の病院を整備しようとしている」という情報が入ってきたのです。既に幕張メッセで現地調査が行われ、5月中旬には稼働させるという話で、私たちは大変驚きました。
 各病院で新型コロナウイルスの患者を受け入れるのではなく、軽症~中等症の患者を一つの仮設病院に集約する、なんとなく合理的で効率的に聞こえる話です。しかし、実際に実現させようとすると簡単な話ではありません。
 そこで働く医師や看護師はどこから確保するのか、ゼロから病院を立ち上げるとなれば、ハード面の設計・整備だけでなく、病院として必要なルールや事務処理、各種手続きが必要で、病院事務に関わった方であれば、それを1カ月で実現することは到底不可能だと理解できるかと思います。
 医師会幹部や新型コロナウイルス患者を受け入れている病院の院長などに「この話をどう思うか」と聞いてみると、「聞いていない」「医師の確保ができないのではないか」と懐疑的な意見が多数でした。
 県から正式に話がない中でどう反応したものか悩んでいると、この計画に関わっている複数の医療関係者から私のところに相談があり、医師の確保の算段がついていないことや、極めて困難なプロジェクトにも関わらず県庁の体制が十分でないこと等にかなりの不安を感じているようで、私の意見を聞きたいとのことでした。
 医療関係者、県庁職員も危機的な状況の中で少しでも医療環境を改善したいと努力している様子が伺えましたが、ゼロから臨時病院を1カ月というあり得ないスケジュール感で立ち上げるには、知事の強力なリーダーシップと県庁を挙げた体制だけでも不十分で、厚労省など国を巻き込んだ、国策レベルの人員を投入して初めて実現性が出てくる話です。
 私からは「臨時病院は最悪の状況下の施策として研究・検討することは否定しないが、現実的に間に合わない。その前に既存病院で専門病棟を確保する等、ステップを整理して、実現可能性が高い順から手を打っていくしかないのではないか」ということを申し上げました。
 こんな内情に触れる中で、テレビ等では幕張メッセ病院化構想が報じられ、県の補正予算にも幕張メッセとは明示されないものの、臨時病院の関連予算 30億円が計上され、県議会で可決されました。
 病院実務が分かる関係者に聞けば到底不可能と言われる案が予算も含めて可決され、進んでいく様に私たちは驚きつつも、歴史を振り返れば混乱期にはこのような意思決定があり得るものです。
 そこで、地元市としては関係者に冷静になってもらうために、構想を実現するために超えなければならないハードルを示すこととしました。それが以下の要望書です。

 幕張メッセにおける臨時医療施設開設にあたっての医療体制等に関する要望

1 幕張メッセに臨時医療施設を整備するにあたり、医療従事者等を確保する際には、本市内における地域医療に影響が生じることのないよう確保策を講じること
2 臨時医療施設を整備する前段として、新型コロナウイルス感染症の医療提供体制構築のため、医療圏ごとに既存病床の効率的・効果的な活用を進め、県全体として医療を支える体制づくりを推進すること
3 幕張メッセの臨時医療施設からの、患者が重症化した場合の転院先の確保、軽快した患者のホテルでの療養施設への受け入れについては、千葉医療圏のみでの対応とせず、県全体での対応とすること
4 医療施設開設にあたっての、保健所による施設基準に基づく審査等については、相当の業務量になると見込まれることから、千葉県による審査など県全体として対応すること
5 本市に広範囲から多くの患者を受け入れる場合、その全ての患者に対して、千葉市保健所が病状の記録、報告等の対応を担うことは不可能であり、また、本市の消防のみで患者の搬送を担うことは、救急業務に支障が生じかねないことから、県全体として対応すること

 結果的に感染者が減少傾向となり、幕張メッセ病院化構想は実現しませんでした。しかし、検証はすべきです。
 私は県やこの構想を立案した人を批判したいわけではありません。皆、良かれと思って構想を進めたわけで、その思いは否定されるべきではありません。
 これを書き残したのは、非常時・混乱時は通常では考えられない意思決定の連続であり、その中で正しかったもの、結果的に誤っていたものを検証可能な形で後世に残していくことが私たち政治・行政の責務だと考えるからです。成功も失敗も全ては次に同じような危機に私たちが直面した際に生かしていくことができる貴重な教訓なのです。

 総理の一斉休校要請以来、千葉の学校は3月から5月末まで異例の長期間、休校となりました。これだけ長期にわたって子どもたちの学びと心の成長の機会を奪ってしまったことを重く受け止めなければいけません。
 夏休み期間より長い上に、友達にも会えず、外出も自由にできない、かつ保護者がストレスを抱えている状況が続くことに私は大きな危機感を抱きました。新型コロナウイルスに感染することもリスクですが、困難な状況に置かれている子どもたちにとっては児童虐待、給食を食べられないことによる栄養面での課題も含めて、それ以上に深刻なリスクを抱えることになります。
 そこで、事前に把握している、注意を要する家庭にはしっかりと家庭訪問を行うとともに、休校期間中も1週間に1日程度、登校日を設けて子どもたちの様子を確認し、プリントを受け取る等、学びを絶やさない工夫をしました。
 この登校日に関しては一部の保護者から「感染が広がっている中で学校に通わせるなんて」と批判がありました。登校は任意であり、出欠を取るものではないと言っても、「自分の子どもだけが登校しないと仲間外れにされる」「登校日自体を無くしてほしい」という保護者が一定数いて、学校・教育委員会・政治家などに猛烈な抗議を行いました。
 原発事故の際、給食の食材に放射能が含まれることを懸念した保護者とやり取りをしたことを思い出します。私たちは給食の食材を検査し、安全な食品のみ使用していましたが、どうしても不安な保護者に配慮し、お弁当の持参を認めました。しかし、保護者の中には「福島県産の食材は検査結果に関わらず使用しないでほしい」「自分の子どもだけお弁当ではクラスで浮いてしまう。給食を一時的に停止して全員お弁当にしてほしい」というグループがいて、同じように学校・教育委員会・政治家などに猛烈な働きかけを行いました。
 放射能も感染症も目に見えないリスクですから不安に感じ、行政や政治にその不安を訴えることも当然です。科学的知見に基づく行政の方針がなかなか信頼できず、広めにリスクを取ることも、それに対する配慮も認められるべきです。
 ただし、その不安を全体に波及させ、大多数が得られる権利や環境を損ねる意思決定はできません。ましてやそうした不安に政治家が押されたり、場合によってはつけこみ、本質を見誤ることは絶対に避けなければいけません。
 千葉市では緊急事態宣言中の5月中頃には感染リスクを独自に見極め、5月最終週から任意で週2日の分散登校を開始し、6月第1週に週5日午前・午後に分かれての分散登校を経て、6月第2週に給食も再開しての通常登校に移行することを意思決定しました。これは首都圏で最も早い意思決定でした。
 子どもたちにとって学校に通う日々はかけがけのない時間で、大人と違って取り戻せるものではありません。千葉市は感染予防に配慮しながら、ギリギリまで子どもの学びと心の成長の機会を追い求めた自治体であることを誇りに思っています。

 刻々と変化する事態の中で私にとって支えになったのは志を同じくする若手首長の仲間たちでした。
 千葉市で教員の感染が明らかになり休校措置を取った際は、児童の感染が明らかになり同じく休校措置が取られた北海道の鈴木直道知事と電話でお互いの状況を交換し、北海道が道内一斉休校を行うことを事前に教えていただきました。「感染が最も広がっている北海道が率先して新型コロナウイルスへの対応のモデルとなる」という強い決意を鈴木知事から教えていただき、その後の北海道の対応は私にとっても非常に参考になりました。
 その後、北海道で第2波が到来した際も意見交換をさせていただき、宣言解除後の千葉市の対策に生かしています。
 日ごろから交流のある三重県の鈴木英敬知事、福岡市の高島宗一郎市長とはLINE、さらにはオンライン会議で頻繁に情報を交換し、お互いの良い対策を学ぶことができました。熊本市の大西一史市長の市民とのコミュニケーションも参考にさせてもらいました。
 こうした若手首長とのつながりが私にとっての道標となり、的確かつ早めの対策を打つことができ、心から感謝しています。
 世界各国で感染が広がる中、新型コロナウイルスへの対応は長期に及ぶことが想定されます。経済面への影響など、社会に深刻な影響を与えるでしょう。オリンピック・パラリンピックが延期されるという、1年前なら誰も想像できなかった状況となっており、この先、まだまだ予測しえない事態が発生する可能性があります。
 しかし、こうした苦しい時にこそ、私たち政治家、行政を預かる人間は責任ある行動を取らなければいけません。そして、目の前の市民を助け、支えるだけでなく、この危機を社会全体の変革の契機としていくためにリーダーシップを発揮しなければいけません。
 台風災害後と同様に、新型コロナウイルスの感染拡大によって千葉市を最終的には進化させるべく、千葉市役所のあり方を大胆に変革するよう指示し、3月 31日に「ちばしチェンジ宣言!」として発出しました。
 私たちの社会は今まで「人が集まること」「人を集めること」を良しとする社会でした。人々が新たな感染症を前に、「人が集まること」「人を集めること」へのリスクを否応なく実感した今、「人が集まらなくても良い」社会へと大胆に転換する機会にしなければいけません。
 日本社会が以前からなかなか徹底できなかった、リモートワークを始めとした働き方改革や生産性向上を実現する最初で最後の機会です。そして、私たち千葉市は今までも押印が必要な事務を2千種類見直してきたように、窓口に来なくても手続きが完了するオンライン手続きの徹底などにより、「来なくて良い」「待たなくて良い」市役所を実現します。
 職員や関係者とともにこの難局を乗り越え、千葉市がさらに魅力ある都市へと変革できるよう全力で取り組んでいきます。
 ※2020年6月に執筆したものです

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