第6章 オリパラで都市を変革する ~東京2020オリンピック・パラリンピック①~

 千葉市では美浜区の幕張メッセで、フェンシング、テコンドー、レスリングのオリンピック3競技とゴールボール、シッティングバレーボール、テコンドー、車いすフェンシングのパラリンピック4競技の計7競技が開催されます。計7競技も開催されるのは都内を除き最多です。
 新型コロナウイルスの感染拡大により、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下オリパラ)は異例の1年延期しての開催となりました。この本を執筆している現在、世界的に感染は収束しておらず、無事2021年に開催できるかは不透明な状況です。延期の影響は大きいものがありますが、この状況を嘆いても仕方がありません。私は1年の追加タイムを貰ったと前向きに考えるべきだと思います。
 私たちは当初よりオリパラの開催そのものも重要ではあるものの、それ以上に「オリパラ開催までの道のりこそが最も重要である」との立場で、様々な施策に取り組んできました。オリパラで大事なことは「オリパラ以降に何を残すか」です。大会の成功をまず目指す必要がありますが、一大イベントを開催し、「盛り上がったね」で終わっては巨額の費用に見合う効果は得られません。オリパラ開催を契機に、私たちの社会をどのように変革するか、この視点が重要です。
 私は会議では必ず「オリパラ以降のイメージをしっかり持とう。オリンピック・パラリンピック行動計画はオリパラ以降も含めたスケジュール表で策定するように」と指示してきました。私たち千葉市は大会の成功や国際交流の振興、観光施策の強化などに加えて、障害者スポーツの振興と共生社会の実現、多様性の尊重、文化プログラムを始めとする文化振興、受動喫煙対策など、広い意味でオリパラに取り組んできました。

 では、オリパラで何が変わるのでしょうか。その一つのキーワードとなるのが「共生社会」です。日本はオリンピックのメダル数に比べてパラリンピックのメダル数が少ない先進国です。オリンピックの壮行会では「ぜひ金メダルを!」と言うのに対し、パラリンピックの壮行会では「メダルはともかく、ぜひ楽しんできて」というような挨拶を耳にすることも少なくありません。
 どちらも同じアスリートです。血のにじむような練習を重ねて国際舞台に立つのに、障害者スポーツというだけでスポーツではなく「福祉」の範疇となるのです。私たちはその見方を変えたいと願っています。
 日本財団のアンケートによると、日本でパラリンピック以外の障害者スポーツを直接観戦した経験のある人は5%未満です。他国ではいずれも 10%以上に上るのに比して、極端に少ない状況です。障害者スポーツを応援したいと漠然とは思っていても、自分が見に行くものとは思っていない、というのが正直な気持ちなのでしょう。
 2012年のロンドン大会は最もパラリンピックとして成功したと言われている大会で、初めてチケットが完売しました。また、パラリンピアンのアスリート性を前面に押し出し、障害者アスリートはテレビCMなどにも多く登場し、スポーツ環境が大きく充実する等、大きな成果が出ています。結果、障害者の社会参画が進み、障害者への理解、障害のある無しに関わらずともに交流する共生社会の実現につながりました。私たち日本、千葉はそれが実現できるでしょうか。
 実は私たち千葉市は東京2020大会が決まる前から障害者スポーツに取り組んでいました。
 ウィルチェアーラグビー(車いすラグビー)の日本代表選手に、なんと千葉市職員が2人もいて、ロンドン大会やリオ大会に出場していたのです。私は市長として彼らを応援し、意見交換する中で、「市長、ぼくたちは練習や試合で千葉市の体育館を貸してもらえないんです」と言われました。調べてみると確かにその通りで、激しくぶつかる車いすスポーツによって床に傷がつくことを嫌がって、千葉市に限らず全国の多くの自治体で体育館を貸してもらえない実態があることが分かりました。スポーツ用車いすは床を傷つけないよう設計されており、諸外国では普通に貸してもらえるにも関わらずです。そこで、すぐに各部署に指示をして、千葉市は最も貸し出しに理解のある自治体となりました。また、千葉ポートアリーナには専用のスポーツコートも購入し、車いすスポーツの国際試合も実施できる
ようにしました。
 私自身、彼らとの意見交換や、各種大会を実際に何度も見に行くと、千葉市には車いすバスケットボールやウィルチェアーラグビー(車いすラグビー)のチームがあり、日本代表選手も数多く所属しているほか、障害者アスリートでは日本で最も有名な国枝慎吾選手など多くの障害者アスリート用車いすを手掛けるオーエックスエンジニアリング社の本社が千葉市にあるなど、車いすスポーツに恵まれた環境であることが分かりました。そこで車いすスポーツを突破口に障害者スポーツの振興、ひいては共生社会を実現するために取り組みを開始し、2013年の2期目の市長選挙では「千葉市を車いすスポーツの聖地にする」との公約を打ち出したところ、「首長選挙で障害者スポーツ振興を掲げるのは珍しい」と関係者から注目いただきました。
 当選後に戦略を立てていたところ、東京2020大会が決定し、そして千葉市もパラリンピック会場となりました。この流れに、「よし、これで千葉市の施策に求心力が生まれる」との嬉しい気持ちと、「早すぎる。間に合うか」という焦りが同時に起こりました。行政主導で進められる部分はなんとか間に合いますが、人々の気持ちや価値観はなかなか急には変えられません。7年でどこまで理想に届くか、千葉市を挙げての取り組みが始まりました。

ウィルチェアーラグビー選手の官野一彦さん(当時千葉市職員)と意見交換

 積極的に全国大会や国際大会を誘致し、その度に市内の小中学校にパラアスリートが訪問し、競技の実演や、子どもたちの体験教室を開きました。最初は「障害者」スポーツ選手と聞いて、弱者的な思い込みを持っていた子どもたちが、筋骨隆々としたアスリートを目の前にして圧倒され、交流し、ファンとなり、大会に応援に駆け付けるといった光景が展開され始めました。ある選手からは「子どもからヒーローのように見つめられ、サインをねだられる。アスリート冥利に尽きる」と言われたこともあります。2020年2月現在で、累計168校、1万9479人がこうしたアスリート訪問で障害者スポーツの魅力に触れています。
 さらに千葉市では、体育の授業にパラスポーツを取り入れています。一部のモデル校で実施している自治体はありますが、千葉市は全校で実施しています。前の教育長は私が薦めた「リアル」(「スラムダンク」の作者が描いた車いすバスケを扱った作品)のファンとなり、バルセロナ・アトランタ・シドニーのパラリンピック3大会に日本代表として出場した千葉雅昭氏が教育委員に就任されたことなどは、教育界を挙げて積極的に共生社会実現に向けて取り組んでくれた成果です。
 私たちは見るだけでなく、体験することも重視してきました。障害の有無に関わらず、パラスポーツを体験、体感できる「パラスポーツフェスタちば」を毎年開催し、2019年度は参加者が1万人を突破しました。
 なぜ体験することが重要か。それは障害者スポーツが「障害者〝が〟行うスポーツ」から「障害者〝とともに〟行うスポーツ」に意識が切り替わるからです。障害者スポーツを通して健常者と障害者がともに同じスポーツで汗を流し、交流ができます。また、障害の特性を理解することにも役立ちます。例えば千葉市で開催されるゴールボールは視覚障害者のために考案されたスポーツで、3対3で分かれ、鈴が入ったボールを投げ、その音を頼りに身体を投げ出してブロックし、ブロックできなければ相手の得点となる競技です。体験すると、見えない中で向かってくるボールがいかに恐ろしいかが分かります。自分が立っている場所も向いている方向も分からなくなる中で、足元にある突起を触ることで位置と向きが分かり、暗闇の中で点字などがいかに重要なしるべであるかも痛いほど分かります。
 今では千葉市は課長研修にこのゴールボールを取り入れており、管理職の多くが競技を体験しています。もちろん、私もです。障害者理解のために導入したのですが、実は意外な効果があることが分かりました。ゴールボールを通して研修参加者が心の底から笑い、声を掛け合い、ともに取り組むことで、参加者同士の交流に大きな効果を発揮したのです。
 通常のスポーツであれば経験者が圧倒的に有利ですし、運動の苦手な人間はどうしても楽しめません。しかし、ゴールボールのような障害者スポーツは参加者全員が未経験ということもあり、全員が楽しく参加できるのです。実際に民間企業では障害者スポーツを研修に取り入れる企業も増えています。千葉市では競技用具を購入し、市内企業や団体が研修等で障害者スポーツを体験する際に貸し出しも行っています。
 市として様々な取り組みをしていく中で、企業、経済界の協力も不可欠でした。私は当初より商工会議所・経済同友会・経営者協会など様々な経済団体の会合等でパラスポーツの意義を訴えてきましたが、当初はあまり反応がありませんでした。例えば、「大会が始まれば、パラリンピアンたちは一躍注目され、共生社会の実現が大きな話題となります。自社でパラスポーツ選手を雇用し、社員とともに応援することはきっと将来それぞれの会社にとって財産になりますよ」と言っても、障害者をアスリート雇用するという発想はなかなか持ってもらえず、障害者雇用枠での採用というイメージにとどまっていました。先に紹介したパラリンピックに出場した千葉市職員が大企業にアスリート採用としてヘッドハンティングされた話をしたところ、大変驚かれたのを覚えています。
 しかし、勉強会、講演、ロンドン視察などを経て、経済界も徐々に意義を理解し、私が驚くほど活動が活発になってきました。市内で開催するパラスポーツ大会に社員を挙げて応援観戦したり、市内企業によるボッチャ競技での対抗戦など、様々な活動が展開されています。
 ロンドン視察では市職員と経済界による合同チームで、成功例とされるロンドン大会の関係者から、取り組み過程や成功の要因などを伺い、現地視察も繰り返しました。夜にはお互いの感想、課題認識、行政・企業の役割分担などを熱く語り合い、「ロンドン組」という形で帰国後も連携し合っています。
 東京と比べるとリソースは限られていますが、関係者が一丸となって準備してきたという点では千葉は日本で1番だと自負しています。千葉市にとって2021年が共生社会実現の起爆剤となるよう、関係者とともに最後まで努力したいと思います。

「きぼーる」から中央公園まで車いすウォークに参加

 もう一つ、オリパラを契機に千葉市に残す財産として期待しているのは、ボランティア文化です。市内からも多くの方に大会ボランティアや都市ボランティアに応募していただいています。ですが、オリンピックやパラリンピックが終わった後で、雲散霧消してしまっては意味がありません。
 2010年の千葉国体の時も多くのボランティアが活躍しましたが、国体後にボランティアは解散となり、何も残りませんでした。せっかく国体を開催し、こうした大会のボランティアに関心を持つ方々とつながりを持ったのであれば、その後もスポーツ大会などでボランティアに参加する形につなげることもできたはずです。それが私には心残りでした。
 ロンドン視察の際、オリパラに関わったボランティアの組織化に成功し、大会後に各地域のスポーツを支えるボランティアの基盤とした事例を知り、大会前からこうした明確なビジョンを持って組織化することが重要だと感じました。
 私たち千葉市では、都市ボランティアの中で、オリパラ以降もボランティアをしたいという人に「チーム千葉ボランティアネットワーク」という組織に同時に入ってもらうことにしました。ボランティア活動の場を求める人とボランティアを必要とする団体の双方が情報共有できるポータルサイトを作りました。ボランティア募集の情報を発信し、ボランティア希望者とのマッチングを図り、千葉市にボランティア文化を根付かせたいと思っています。

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