第1章 非常時こそ問われるトップの真価 ~台風15号対応①~

 平成から令和へ、元号の転換という歴史的な節目を迎えた2019年は、千葉にとって、風水害が相次ぐ大変な年となりました。台風 15号では県内の観測史上最大風速 57・5メートルが千葉市で観測されたほか、台風 21号に伴う集中豪雨では1カ月分の雨量がわずか3時間の短時間に降るという中、土砂崩れが多発し、3名の尊い命が奪われました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆さまに心からお見舞い申し上げます。
 私は高校時代、神戸市在住時に阪神淡路大震災を経験し、そして市長就任後に東日本大震災を始めとする各種災害対応を指揮した後に今回の一連の風水害に直面しました。昨年の風水害における千葉市の対応を振り返りながら、災害時における行政の役割、首長の役割について私の思うところを述べたいと思います。
 中でも、9月の台風 15号は、長期間にわたる広範囲の停電という、これまで議論したことすらない難題に直面しました。災害対策本部の設置を始め、災害時の首長は判断の連続です。普段なら、職員がいくつかの意思決定の手順を踏んで合議でそれなりの答えを出すのですが、災害時にそんな暇はありません。遅くとも3時間で結論を出さなければなりませんから、職員も「市長どうしましょうか」と生煮えどころか、ゼロレベルの検討状況で案件を持ってきます。こうした一刻を争う状況で、判断が連続する災害時こそ、決定権がある行政のトップがいかに重要か痛感しました。

 台風15号が徐々に日本列島に接近し始めた9月8日、千葉市では「空のF1」とも言われる一大イベント「レッドブル・エアレース千葉2019」の最終戦が予定されていました。2日間で10万人もの観客が足を運ぶ一大イベントで、会場となる幕張海浜公園を中心に千葉市が大いに盛り上がっていました。無事にレースを開催するため、私たちは特に台風の動きを注視していました。台風の接近を踏まえ、実行委員会は午後の予定を急きょ午前に動かし、レースは当初予定より早く終えました。日本人パイロットの室谷義秀選手が見事優勝して有終の美を飾り、私も大変感動しました。ですが、閉会式後の記者会見などプレス対応をする間に、私の頭は既に災害モードに切り替わっていました。
 ちょうどその頃、私のスマートフォンに国土交通省関東地方整備局長から連絡がありました。国交省では一定規模以上の被害が予想される風水害が来るとき、関係自治体の首長に「ホットラインをつくりましょう」と呼びかけているのです。既に台風 15号は観測史上最強クラスの勢力を保ったまま日本列島に接近しており、危機管理部門が職員の参集を始めるとともに、私からツイッターで市民の皆さんに注意を呼びかけました。
 災害にあたって常に意識していることは「危機管理部門といつでも連絡が取れる状態を保持し、災害対策本部の設置を速やかに判断すること」、「災害対策本部を設置した場合、 24時間いつでも市役所に登庁できるようにすること」です。
 それは私が市長を目指すきっかけともなった阪神淡路大震災での、当時の兵庫県知事の行動が教訓となっているからです。
 私は高校2年生の時、神戸市須磨区の自宅で阪神淡路大震災に遭いました。その時、当時の知事が公用車が迎えに来るまで2時間半、知事公舎に居たことが、後にかなり批判され、初動体制に問題があったのではないかという議論があったことを今でも覚えています。その原体験から、私は一定規模以上の災害が予測される際は常に市役所に登庁することを意識しており、ある風水害の際に運転手が登庁できず、公用車の到着が遅れるという場面があったのですが、その際は公用車の到着を待たずに自力で登庁し、災害対策本部員会議に臨んでいます。自宅を建てるにあたっても、私は市役所へ歩いて行ける距離、かつ埋立地等の災害リスクを避けた場所を選んでいます。
 台風15号の際は、8日の夜から9日にかけて、私はずっとスマホを握りしめ、1時間おきに台風の進路等の情報を確認し、4時以降は起床して状況や市内の被害状況を確認していました。9日午前5時16分に千葉市で土砂災害警戒情報が出たことを受け、危機管理監と直接話し合い、災害対策本部の立ち上げを指示し、9日には2度の災害対策本部員会議を開催しました。

 このように早い段階で災害への備えを開始していたのですが、台風15号は我々の準備をはるかに超える究極の台風でした。960ヘクトパスカルという観測史上最強クラスの勢力を保ったまま、翌9日午前5時前に千葉市付近に上陸した台風 15号は、千葉市中央区で最大瞬間風速 57.5メートルを観測するなど、強烈な風が特徴でした。
 この風により美浜区の稲浜小学校の体育館の屋根が吹き飛ぶなど、各地で屋根の被害が多く出ました(千葉市内の住宅被害 10月20日時点で全壊 11件、半壊132件、一部損壊3178件)。ビニールハウスの倒壊なども相次ぎ、千葉市内の農業被害は8億4850万円( 10月6日時点)に上りました。特に深刻だったのは停電です。
 風により倒木や電柱の倒壊で電線網が壊滅し、関東広域で最大約 93万戸もの停電が発生。千葉市内では総世帯数の 20%に相当する約9万4600戸(9月9日ピーク時)にも及び、完全復旧する9月 30日(千葉市の情報収集による。東京電力の停電復旧発表は 22日)まで 22日間もの長期停電となりました。
 9月9日時点では、こうした被害の全容はまだ分かっていませんし、停電がこれほど長期間に及ぶなど誰も想像していませんでしたが、停電が広範囲に広がっているということは、東京電力からも情報が来ていましたし、SNS(会員制交流サイト)でも悲鳴が山のように押し寄せていましたから、把握していました。
 特に人工呼吸器など生命維持の機器を使用している方から不安の声が上がっていましたから、危機管理監には「生命維持、人命救助を最優先だ。停電で各種生命維持の機器を使っている方が危険なので、医療機関・福祉施設を中心に、とにかく必要なところに電源を確保してほしい」と指示しました。消防による人命救助、建設局土木事務所を中心とした倒木処理と道路啓開、保健福祉局による医療機関・福祉施設の停電対策等、各部署の専門領域をしっかりとした体制で対処していくことが重要だと考えていました。9日の時点では。

 9日午後9時に東京電力と経済産業大臣が「 11日朝までに停電戸数を約 12万戸にまで減らし、 11日中には全て復旧させる」と記者会見。この時に妙な違和感を感じました。
 私もその後の3週間以上もの長期停電をこの時点で予測してはいませんでしたが、若葉区・緑区の倒木の状況などを考えると、 11日中に全ての復旧というのは嬉しいけれど本当だろうか、と少し不安を覚えたのです。
 翌10日の早朝、当初は東電のホームページに「 10日中に復旧」となっていた千葉市の復旧見込みが「調整中」に変わっていたのです。SNSでも既に誰かが、この変化を教えてくれていましたが、この変化を見て、東電が混乱していることが分かり、「これはまずい」と戦慄が走りました。
 短期間の停電や計画停電については東日本大震災での経験がありましたが、いつ直るか分からない広範囲な長期停電など経験があるはずありません。今までに直面したこともない状況の下で、こちらも今までにない特別な対応を繰り出していくしかない、そう覚悟し、それぞれの責任者を呼んで指示を飛ばしました。直接の被災者への支援に加えて、膨大な数の停電世帯への支援も必要となり、災害対応のステージが変わったのです。
 また、10日の午後から市内で次々と電話が通じないエリアが発生し始めました。携帯基地局などの非常電源が切れ始めたのです。情報が入手できないばかりか、救急車を呼びたくても119番通報もできない世帯が多発し、市としても自治会や民生委員など地域の方を通じて状況を確認することもままならないエリアがどんどん広がっていきました。広範囲での電力喪失に加えて通信も途絶えるという、文明社会の基礎インフラが欠けた状態が、首都圏の 98万人が住む大都市の市街地で発生していました。
 災害対応のステージが変わったことで真っ先に指示したことは人員配置です。既に危機管理・防災部門や区役所を筆頭に、消防や建設など、一定規模の災害時にフル稼働する部署は 24時間・非常態勢で臨んでいましたが、今後はより広範な分野で特別な対応が必要となり、全庁を挙げての人員確保が必要になるだろうと予測できました。
 東日本大震災の際も、災害対応にあたる部署の人員不足に対して、その都度人員を流動的に配置換えしたことがありました。今回はその教訓を生かし、早い段階から区役所等の現場に人員を大幅にシフトさせる指示を出しました。
 一方、全国的な反応は、9日は市原市でのゴルフ練習場の倒壊などの報道はありましたが翌 10日には、内閣改造で小泉進次郎衆院議員が環境大臣に就任するなど明るいニュースばかりになっていました。正直、もっと全国的に注目してもらい、全国的な支援が欲しいという気持ちでした。私たちの現場は実はこの 10日が一番大変だったのです。

 まずは電源の確保です。各部署が保有する発電機は全てかき集め、必要とする場所へ配備するよう指示するとともに、もっと外部から集める必要がありました。幸い、私たちは2018年の北海道の大規模停電を受け、JFEスチール、NTTと災害時にEV車を貸与いただく協定を締結しており、両社から電源車を確保することができました。備えあれば憂いなしとはこのことでした。
 しかし、これだけではとても足りないと考え、自民党国会議員に「日本中の電源車を千葉に集めてほしい」と要請したほか、私の古巣であるNTT本社の社長室に電話をして、昔の上司に「既に千葉支店からEV車を借りているが、NTTグループで動かせる全国の電源車を貸してほしいと社長に伝えてほしい」とお願いをしました。ほかにも千葉トヨペットの勝又隆一社長からは燃料電池車ミライを提供いただくなど、あらゆる人的ネットワークを使って電源の確保に努めました。
 こうして確保した電源車などを、避難所自体も停電している地域に配備して避難所を機能させたほか、停電した児童養護施設に派遣して暑さに苦しむ子どもたちに涼を届けるなど活躍してくれました。さらには、大型バスを停電地域に配置し、エアコンが効いた移動式の避難所として機能させたほか、大浴場を無料開放した市施設へピストン輸送するなど、マニュアルを超えたあらゆる対策を打つ、という姿勢で臨んでいます。
 次に水です。台風災害のため水道管は基本無事で、浄水場などは停電の影響を受けているものの、非常発電によって稼働しており、市水道・県営水道ともに給水は行えていました。しかし、農村部など井戸水で普段生活しているエリアでは井戸水をくみ上げるポンプが停電で動かなくなっていたほか、都市部でも集合住宅において同様にポンプが動かないことで、市内で何万という単位で事実上の断水に陥っていたのです。しかし、当初、職員は「給水はできている。施設側の問題だ」という認識でした。「そうではない。事実上の断水状態にある。福祉施設など優先順位の高い地域に給水を行ってきたが、市内広域での給水活動が必要だ」と指示しました。
 千葉市は 90%以上を県企業局が給水しており、若葉区・緑区の一部のみを市営水道が給水しています。市水道の規模は小さく、給水車も1台しかないため、東日本大震災の時と同様に県営水道が持つ給水車(千葉市エリアには4台あり)の派遣が必要でしたが、県に要請したところ、県は「優先順位が高い施設に給水するため個人への給水はできない」との回答でした。千葉市民が困っているのに市の要請に応えないことに大いに不満でしたが、君津市や南房総の市町村が困っている状況は知っていたので、我々が把握していない優先順位の高い地域や施設に給水しているのであればやむを得ない、自分たちで給水車を確保しようと考えました。
 そこで、近隣政令市で普段から交流のある川崎市の福田紀彦市長に直接電話をして給水車の派遣を要請したところ、「どこかの自治体から給水要請があり得ると考え、既に準備している。すぐに派遣する」との心強い返事をいただき、2台の給水車が千葉市に派遣されました。後で福田市長に聞いたのですが、実は川崎市の職員から、「広域支援は日本水道協会を通して行うことになっています」と言われ「そんなことをしていたら時間がかかる。いいからすぐに行け。別の部隊が広域派遣の処理はしておく」と、特別な計らいまでしてくださっていたそうです。ほかにも東京都からも給水車が派遣され、これで市内を広範囲に給水することが可能な体制となりました。
 川崎市や東京都から給水車が派遣されると、千葉県から連絡があり、一転して給水車を派遣できるとのことでした。今までは何だったのかと思いましたが、1台でも給水車は必要だったので要請することとしました。後に県議会での追及で、千葉市にある県の給水車はどこにも給水活動を行っていなかったことが分かりました。

 台風15号で特徴的だったのが強風による家屋の屋根の被害です。市内でも多くの家屋の屋根瓦が飛ばされたり、屋根そのものがなくなったりしていました。週末にはまた雨の予報が出ている中、雨露をしのぐためのブルーシートが早急に、かつ大量に必要になったのです。千葉市では相当量のブルーシートを災害備蓄品として持っており、区役所で被災者に必要量を渡していました。
 災害対策本部員会議では各区の区長から「ブルーシートを配布していることを積極的に広報するべきか」という悩みがでてきました。
 積極的に広報すれば区の窓口に市民が殺到し、被害の大きさから備蓄しているブルーシートがすぐに底をつく可能性もありますし、職員の負担がかなり高まりますので、悩むのも十分理解できました。しかし、週末に雨が降り、破損した屋根から雨水が入ることで家屋が腐食して取り返しがつかなくなることを考えると、1日も早くブルーシート等で屋根を養生する必要があります。各種広報手段で積極的にブルーシートを配布していることを伝えるよう指示しました。
 すると、予想通り凄まじい勢いで備蓄は減っていきました。日々在庫を確認しながら、市が保有するブルーシートを不足する区役所にかき集める中、県からも非常に良いタイミングでブルーシートが来たほか、経済産業省からも来ました。しかし、それでも足りないので県外の自治体に要請することとなり、私から川崎市やさいたま市、つくば市の市長に要請する等、それぞれのルートを活用してブルーシートをいただきました。相模原市、南相馬市、石巻市、川口市からもご協力いただきました。
 「これで数は大丈夫だ」と一息つけましたが、素人が屋根にブルーシートを張るのは危険です。県内では死亡事故も起きていました。ですから、今度はブルーシートを屋根に張る職人が大量に必要になってきたのです。

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