[2020年3月3日] 新型コロナウイルスの今後を予測し、政治家・行政が意識しなければならないこと

2月18日、私の誕生日に書き綴り、未投稿のままにしていた文章を見つけ、ここで投稿します。新型コロナウイルスの今後を予測し、政治家・行政が意識しなければならないことを書こうとしたものです。

一人の政治家として、行政を預かる者として、私が意識していることは、

●専門家と現場の知見を活かし、常に科学的知見や根拠に基づいて対策をすること
●一方で、専門家・現場と国民の意識の溝を理解すること
●専門家・現場の通りにすると、不安に駆られる国民から信頼を失い、専門的知見に基づいた現実的対応ができなくなるリスクを理解すること
●専門家からは「ちょっと踏み込んだ対策だが、政治的判断としてやむを得ない」と言われるラインで施策を展開し、国民に寄り添って専門家と国民の間を繋ぐことで幅広い国民の信頼を得ること
●常に先に待っているリスクや景色を想定して、予報し、事態の変化に対して国民の心の準備を促すこと
●不安を訴える人々に寄り添い過ぎ、過剰な対応を取ることで、医療や経済が崩壊し、別の形で生命の危機に晒される人々が出ることを政治家として理解すること
●上記についてはうまく説明しないと、論点を理解できない人から「経済のために人を見殺しにするのか」と批判されるので、説明の論旨展開や場所には細心の注意を払うこと

原発事故後の放射能に必要以上に怯えてしまったこと、豊洲市場の狂乱劇で、楽観視はいけませんが、必要以上に怯えることのリスクと社会的コストについて学んだはずです。

確かに不安に寄り添った思い切った対策は目立つし、評価を得られます。一方、それによって高まった別のリスクやコストによって失われた命は間接的であるがゆえに目立ちません。
そのため、政治家は不安を訴える側に寄らざるを得ません。しかし、私たちは政治家です。負託を得た人間として、自らの政治生命を削ってでも、できる限り正しい道のりを提示し、実行する責任があります。

こうした危機の際は、マスメディアやSNSで様々な専門家と称する方々が登場します。
私から見れば無意味な行政批判に見えても、一般の方にはどれが適切な行政批判で、どれが無意味な批判か分からないと思います。どうしても政治家や行政が信用できない方は、医学的なことは主要な学会の見解を確認し、自ら判断していくことが重要です。

私たちは新たな脅威にゼロリスクを求めがちですが、既に存在するリスクを意識して

文章はここで終わっています。
あまり裏側の考えを出すべきではないかもしれないと思って止めたものですが、今の状況を見ると何とも言えない気持ちです。

千葉市に関しては変わらず上記考えの下で、市民の不安に寄り添い、しかし専門家の知見に基づき、全体コントロールを失わず、刻々と変化する事態に市職員や関係者とともに向き合っていきます。

健康危機管理対策本部会議を開催

職員・教員への感謝、各部署の情報共有、
・今事案に関する庁内の体制強化
・学校での児童預かりの今後の方針について学校現場の理解得ながら検討
・ICTを活用した学習の運用前倒し
・国の休業補償等の制度方針を見ながら市の支援制度の検討
などについて指示しました。

政府の休業補償については半日単位で方針が都度都度、変更されていく状況です(保護者向け6・7割補償→10/10、自営業・フリーランス除く→対象など)。
総理の休校要請時点で方針を示して欲しかった、巨額となり最後は国民負担、を考えると複雑な心境ですが、国は相当思い切った補償を行うと言えます。

国の補償制度は企業を通して支給する形になります。私たちとしては国の補償制度の方向性を確認しながら、労働者・市民から見て、制度からこぼれる人、支給までの間で福祉的貸付が必要な方などに対して適切に支援をしていきたいと思います。